DELETE-3
近年新しく出来た「記憶消去センター」
そこでは“健康診断”という名目で、人の脳から不要な記憶を削除し、脳の軽量化によって心身の健康を保つとされる医療行為があった。 まるでパソコンやCPUのメモリを整理するように、記憶を“デリート”する。
センターでは、一人につき3つの記憶を選んで削除できる仕組みだった。人々は、嫌いな人にまつわる記憶や、過去の嫌な出来事、トラウマを選び、静かに手放していった。中には、長く苦しんでいた人が「スッキリした」と笑顔を見せることもあり、制度は称賛された。
当初は任意だった受診も、数年のうちに“推奨”となり、今では“義務”となっている。センターを受けない人間は、「非国民」として扱われるようになった。
それでも、受けずにいる者がいた。
彼だ。
彼は記憶消去センターを避け、過去のすべてを抱えたまま生きていた。
彼は痛みや怒りこそ生きる糧、学びの糧になると思っていたからだった。
その記憶の重さを引きずる彼の目には、まわりの人々がどこかおかしく見えていた。
感情の輪郭が曖昧で、怒ることも、深く悲しむこともなくなっていた。 みんなが「ただ明るいだけ」の存在になっていた。
ある日、彼はかつて一緒に抗議活動をしていた旧友と再会する。
「……でも今は、政府に感謝してるんですよ。ほんとに」
そう微笑む彼の顔を見て、 彼はぞっとする。 その笑顔が、心からのものに見えたからだ。
彼は確信する。 記憶は“削除されている”だけではない。 ……記憶は“書き換えられている”。
彼は記憶の記録と観察を始めた。センターに行く前後で、人々の言動がどのように変化するのか。 ノートに記録し、比較し、統計をとるようにして調べていった。
やがて彼は、ある結論にたどり着く。
センターでは、3つの記憶のうち2つを削除し、残りの1つは—— 「……政府に対して好意的な記憶に、書き換えられているに違いない。」
「政府に歯向かわないよう、記憶は巧妙に書き換えられていた。だから暴動は起こらず、常に平和で、その国の人々は貧しくとも文句を言わなかったのだと。」
そして彼はもう一つ大事なことを知ってしまった。 人は、正義からくる怒りは手放しにくいのだと。
だからこそ、政府は“政府に向かう怒りを捨てさせる”ことができなかったのだ。
そして、記憶を“上書き”するという方法を選んだのだった。
同時に、削除された記憶は完全に消去されていたわけではなかった。 それらは、すべてひとつのアンドロイドに蓄積されていた。
人を傷つけたもの。 誰かに加害を与えた記憶。 暴力、支配、搾取―― そういった記憶がアンドロイドに蓄積されていた。
そしてそのアンドロイドは、人知れず“平和”のために動いていた。 危険と判断された人物を見つけ次第、 世の中から“削除”していたのだ。
それは通り魔事件、不審死、事故として扱われ、 誰もその正体を知らなかった。
そして世の中は平和が維持されているようだった。
やがて人々は、外に出ることを避けるようになった。 世界は“家の中”だけになり、 情報は政府が選んだものだけに絞られていった。
それでも、家の外に出ようとする者がいた。
彼だった。
彼は健康診断を受けず、 嫌な記憶や違和感を、抱えたまま生きてきた。
だからこそ気づけた。 人々が「明るくなった」ように見えて、 ほんの少しの不快さにも耐えられない、 極端に脆い生き物になってしまっているということに。
そして彼は、デモを起こそうと決意した。 だが彼は知らなかった。 国民の大半が、すでに“書き換えられている”ことを。
そして彼は、“非国民”“国賊”として、 国民の手によって始末されることになる。
まともな人間が、まともではないと見なされてしまう。 そんな世界の、ひとつの断片。
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