LIKE is LIFE

    LIKE is LIFE

    主人公は20代、映像演出志望の女性。 「人の心を動かすものは何か」を模索しながら、日常の中でSNSを始めた。

    特別目立つ存在ではなかった。 ただ、将来は何者かになりたいという小さな野心が心の奥にあった。

    ある日、恋人と別れたことをきっかけに、感情を吐き出すように投稿した。

    ――「さよならって言った方が泣いてた。なのに、どうして私はこんなに静かなんだろう」

    その投稿は、小さくバズった。 「共感しました」「同じ経験があります」――通知が鳴り止まなかった。

    あのとき、彼女は確かに泣いていた。 でも本当は、誰かに“見つけてほしかった”だけだった。

    慰めと共感がリプライに並び、フォロワーが急激に増えた。彼女は、驚きと同時に小さな快感を覚えていた。

    誰かに見てもらえる。誰かが自分に共鳴してくれる。


    やがてSNSに新しいアップデートが入った。
    ――【有料プラン加入者限定】 “LIFE EXTEND”:1投稿1500いいねで3ヶ月、5000いいね以上で寿命が+1年延長されます。

    最初は意味がわからなかったが、SNS上ではすぐ話題になった。

    誰もが寿命を延ばしたいと、バズを狙い始める。 最初のうちは、有益な情報や感動的な体験談が多かった――。

    フォロワー2〜3万人のユーザーが月に1回5000いいねを取れれば、5年で60年分の寿命を稼げる計算になる。 週に1度バズを起こせる大規模インフルエンサーの中には、1年で50年分の寿命を手にした者も現れはじめた。

    「マジで延びた」「祖母より私の方が長生き決定」「寿命、買える時代になったな」

    彼女もその波に乗った。 別れの克服、心の整理、女磨き、応援してくれる人々、変わっていく日常。 彼女の投稿は「共感型演出」だった。 そして企業案件が届くようになる

    「#失恋からの再出発」 「#この涙を越えて私は変わる」

    ハッシュタグをつけて、メイク動画、散歩する後ろ姿、自分への語りかけ。 演出は自然に強くなっていった。

    「今日も前を向く私を、見ていてください」 

    ――その言葉が、10万回拡散された。 


    “悲しみから立ち直る女の子”は、商品になった。



    フォロワーは増えた。美容案件も増えた。でも友人は距離を置き始めて減った。

    でも彼女は止まれなかった。なぜなら、「応援してます」「元気もらってます」「あなたの物語をずっと見ていたい」というコメントが、毎日のように届いたからだ。

    そして気づけば、彼女の寿命は25年延びていた。



    いつしかSNSではこう呼ばれるようになったーーLIKE is LIFE、と。

    そのうち、炎上を含めた刺激的な投稿の方が”伸びる”ことに気づく。

    不幸やトラブルを演出する人が増えていった。 泣く、叫ぶ、壊す、告発する。
    演出家志望の彼女は、感情のエッジを”作品”として投稿した。 新しい恋人ができては破局し、婚約したが破棄し、 弁護士とのやり取りまでもがコンテンツになった。
    そして何よりも恐ろしいのは―― それが事実なのか演出なのか、誰にもわからなくなっていくことだった。

    ある日、大人気の美容インフルエンサーがこう投稿した。

    「最近、シミやくすみが気になるって言われる。私は計算だと50年は寿命が延びてるのよ?じゃあ、老いないはずよね?」

    コメント欄はざわついた。 『それ加齢じゃない?』『寿命が延びるの意味、実は違うんじゃ…』

    恐怖が広がった。”いいね=不老不死”ではなかった…? ただ”寿命が延びる”だけ…。
    つまり、老化したまま生き続けるだけの存在。

    フォロワーは静かにざわついた。寿命が“長い”=“老化が続く”という、誰も考えなかった前提が露わになった。

    彼女は慌てて自分の投稿にどれだけのいいねがついていたかを計算し始めた。 手が震え、計算が合わず、何度も電卓を打ち直す。 思っていたよりも、はるかに”延びていた”。

    「こんなはずじゃなかった」
    彼女は更新を止めようとする。 しかし勝手に過去の投稿が自動再推薦される。


    「今どうしてるんですか?」が日々届いた。
    「あなたの投稿に救われてます」
    「元気をもらってます」
    「ずっと見守ってます」

    誰も悪意はない。ただ、”感情を押した”だけだった。

    彼女は、誰にも止められない。 演出ではない、本当の恐怖が心を支配していく。

    そんな時、SNSにアップデートが入る。 「よくないねボタン」の実装。
    それは炎上目的の投稿を減らす目的として実装されたもので伸びた寿命を減らせるというものだった。

    人々は一斉に歓喜した。 「これで望まぬ延命を止められる」 「炎上狙いを抑止できる」


    だが、現実は違った。
    “よくないね”は寿命を削る。だが、”いいね”はそれを上回った。
    誰かが苦しむ姿、泣き叫ぶ声、壊れていく人生――
    “よくない”と思われた投稿にさえ、 “もっと見たい”と多くの人が”いいね”を押した。

    そしてその風潮を良くないと指摘した人には、偽善者ぶるなと嫌がらせのいいねが付けられた。誰も指摘も正すこともできない沈黙の傍観者となっていくのも自然な流れだった。


    投稿の頻度を落としても、過去のツイートに通知が鳴り続けた。

    「今どうしてるんですか?心配してます。」
    「元気ですか?」「応援してます」「また投稿してください」

    穏やかに暮らそうとすればするほど、いいねはついた。 炎上も起こさず、ただ黙っていても延命は進む。

    そんな中、彼女は決断する。

    ひとつの投稿。
    「お願い。だれか、“よくないね”を押して。私を、終わらせて」
    それは静かに拡散された。
    「+1 いいね」「+26 いいね」「+1035 いいね」
    「よくないね:1」

    画面の中で、その表示は一瞬だけ光った。 

    彼女の呼吸が止まり、目に涙が滲む。 

    それは、ようやく見つけた“誰かの否定”だった。
    だが、次の瞬間。
    「取消されました」

    彼女の頬が引きつる。 
    かすかに笑おうとした唇は、演技だったのか、祈りだったのか。
    それすら、もう自分でもわからなかった。


    その日の夜―― 誰かの”おすすめ”には、今も彼女の動画が流れている。
    サムネイルには、こう書かれていた。

    『#共感したらいいねしてね』

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