私の新しい作品シリーズ【Memento series】を見てくださってありがとうございます。
この作品達が生まれた経緯を少しお話させてください。
私は近年、ある処方ミスにより体質が変化し、日常生活を送る上で少し苦しい思いをすることが増えました。
本来は天真爛漫と表現してくださる方が多い性格だったのですが、そのような経緯からふと【死】という存在を意識することも多くなり、いつしかそれは身体面でも精神面でも身近な存在となって私の傍にいるようになりました。
メメント・モリ(memento mori)という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。
「死を忘れるな」という意味のラテン語ですが、本来は【人はいずれ死ぬのだから今を楽しめ】という意味が始まりだと言われています。それがペストなどの出来事により、今に広く知られる「死を想え」の意味合いに近くなり当時の人々に日々の「死の意識」が生まれたと聞きました。
「memento」という部分は「忘れるな」「覚えていなさい」「思い出せ」という意味のようです。
私は突然ですがふと、ある想いが与えられました。
「最期」は私だけではなく、相手にも、人に限らず全てに訪れるものだと。
当たり前のことです。頭で理解はしていました。ただ心の奥深くにこの事はとても大事で忘れてはならないことだと感じた瞬間がきたのです。
もし今日が最後の日なら、私はあんなことをしただろうか、あんなことを言っただろうかと思うようになりました。
全ての人に限りがあると思うからこそ、相手をより尊ぶこともできるようになるのだと思います。
終わりの存在を認識するからこそより良く生きることが出来ることもあるのだと気が付きました。(それでも怖い時は勿論あります)
この花は枯れるから、枯らさないようにとお世話するでしょう。
目の前の景色をあと何回見れるだろうかと思うからこそ今の景色をより美しく尊く感じることができるでしょう。
心が沈みがちな時、変わらずそこにあるものや傍にいてくれる存在は覆い隠され見えにくくされます。
その美しさは心を閉ざしている時は見えなくされてしまいます。
しかしそれはそのような時こそ忘れてはならない、思い出さなければならないものでもあります。
頬を撫でる風の優しさ、夜の柔らかな月明かり。寒さの中の暖かさは心に染み、水面の輝きはザワつく心を落ち着かせてくれました。
思い出せば美しいものや励まされるものに世界は溢れていました。
雨も草木が喜んでいると思うと私を楽しませてくれます。
もし今日が最期の日なら、まぶたを閉じるその時には
「やっぱり、それでも、世界は美しかった」
と私は思いたい。
このシリーズでは私が感じた忘れたくないもの、思い出されるもの、覚えていたいもの、
私にとってのMementoを描いていきます。
表現方法も、私が絵を描き初めてからの「キャンバス画」「線画」「人物画」の歴史が随所に現れています。
このシリーズの中で一緒に共感してもらえる光景があるならば、私にとってとても嬉しいことです。
〜貴方にとってもMementoな光景を見つけてください〜
Maho
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