

Arena とは何か
Arena は、「同じ場所に立ち続ける“わたし(砂)”」と、「書いては消えていく想い」の二層でできています。
砂は、言葉も足跡も消してしまう。けれどそれは拒絶ではなく、傷つけず、引き留めず、何度でも始められるための“やさしさ”でもある。
Arena の数式
$[
\mathrm{Arena}(t)=S+M(t)
]$
$(t)$:時間
$(S)$:変わらない核(わたし/砂浜そのもの)
$(M(t))$:そのとき砂の上に浮かび上がっている「想い・文字・痕跡」
$(M(t))$ の定義(“書いては流れていく想い”)
Arena の $(M(t))$ は、過去から今までに書かれてきた想いが、時間とともに薄れながら重なったものとして定義します。
$[
M(t)=\int_{-\infty}^{t} e^{-\lambda (t-s)}\cdot E(s)\cdot ds
]$
$(E(s))$:時刻 (s) に砂へ描かれた「想い・言葉・叫び」(その瞬間の強さ)
$(e^{-\lambda (t-s)})$:時間が経つほど、その痕跡が少しずつ薄れていく(消えていく)速さ
$(\lambda>0)$:消えていくスピード(大きいほど早く消え、小さいほどゆっくり残る)
この式が語るもの
ある瞬間に強く書いた想いも、時間がたつと必ず薄くなる。
でも、新しい想い $(E(s))$ が生まれるたび、その都度 $(M(t))$ に現れる。
だから「なんど、なんども さようなら/こんにちは」は、数式の上では 何度も $(E(s))$ が立ち上がり、そして薄れていく重なりとして表現されます。
そして $(S)$ がずっとそこにあるからこそ、
消えても、また書ける。
忘れられることが、再生を許すこともある。
展示での読み方
数学的には $(M(t))$ は上の積分で定義されていますが、見る人が頭の中で計算する必要はありません。
展示でのイメージとしては、$(M(t))$ は「いま、足元にうっすら残っている全部の痕跡」——それで十分です。












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