今はあまり行かなくなりましたが、
私はよく、何かあると近くの海に向かっていた気がします。
なぜかわからないのですが、ただ海を眺めているだけで、
何かがリセットされるような気がして。
「気分一新!」と明るくなれたわけでもなく、
特別な変化が起きたわけでもないのに、
なぜか、新しくなる感覚が、私は好きでした。
波の音と鳥の声
とくに私が好きだったのは
流れ着いてきた貝殻を拾うこと
そして、
裸足になって波と共に流れていく砂を感じることでした。
そして次には次の波で私の足には
砂がまたのっかっているのです。
地球の呼吸というか
この星のお腹にいて飲み込まれていくような
そんな不思議な感覚が好きだったのだと思います。
流れ着いたものや、
さっきまでそこにあったのに
よそ見して波でさらわれてしまった
取り損ねた貝殻
あったはずのものがなくなって
無かったはずのものが
あらわれる不思議。
砂は、ずっとそこに在ります。
それは確かに存在しているのに、決して同じかたちでは留まりません。
もし砂に何か想いを書いたなら、やがて波にさらわれて消えていき、
吐き出した言葉も、足跡も、すぐに溶けるように波と共に失われていきます。
それでも、砂は否定しません。
それどころか、また書いてもいいよと、いつも静かにそこにいる。
誰かに向けて書いたつもりの言葉、
誰にも届けるつもりのなかった声、
自分ですら忘れてしまった願い。
それらは一瞬、この世界に確かに刻まれます。
でも、時間とともにその痕跡は薄れ、
やがてなかったことのように静かに消えていく。
そんなふうに残らないことが、
優しさになることもあるのだと思うときがあります。
まるで「残らせない手紙」のように、
砂は、想いを受け止め、そして流してくれる。
傷つけずに、引き留めずに。
何度でも、“まっさらな気持ち”で始められるように。
いつでもまっさらなキャンバスを用意してくれて、
そして消し去っていくのです。

この詩は、変わらないものと変わっていくものの共存を詩っています。
同じ場所に立ち続けているのに、
心は少しずつ書き換えられて、過去の自分にはもう出会えない。
それでも――
何度でも、ここから始められる。
何度でも、また“こんにちは”を言える。
私はこの作品で
「いつでも失われることを恐れずに生きるための場所」
を表現したかったのかもしれません。
この感覚を、私は数式でも表現しました。

詳しくは別のページに記していますが、
ここではただ、「変わらないもの」と「流れていくもの」が共に在る、ということだけ伝われば十分です。
砂そのもののように、ずっと変わらずそこにある S
そして、砂に何度も書かれては消えていく想いの痕跡 M(t)
たとえその想いが時間とともに消えてしまっても、
また新しい気持ちで、ここに描くことができる。
その繰り返しが、心のなかの Arena をかたちづくっていきます。
「私はいつもここにいるのに、前の私はここにいない」
その言葉は、とても切なく、とても優しい。
私のこのArenaは、
誰にも責められずに生まれ変われる、
何度だって「はじめまして」と「さようなら」を交わせる場所。
消えることが、救いになることもある。
忘れられることが、再生を許すこともある。
そんな“やさしい砂の心”を、私はこの作品で表現したかったです。
そしてきっと、
何度でも、新しく立ち上がれる場所が私たちの中にもあります。
それを静かに思い出させてくれるような、
そんな作品になれたら嬉しいです。
Maho












【Arena】
書いた想いも
消えさって
吐いた想いも流れていく
わたしはいつもここにいるのに
前の私はここにいない
なんど、なんども さようなら
なんど、なんども こんにちは
たとえなんど消されても戻ってくる
まっさらな気持ちでここにいる