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数式の解説はこちら
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私はふだん、人物を描くときに性別を強く意識することはありません。
けれどこの「ベテルギウス」だけは、なぜか男性的”な佇まいを感じたのです。
それは、男性として表現したいという意味ではなく──
父性、威厳、孤独、そして宿命を静かに受け入れる強さ。
そういったものが、あの赤い光に、滲むように宿っていたからです。
彼は語りません。ただ、背中で語ります。
まるで、自らの終わりをすでに知りながらも、
それを誰にも告げず、静かに光り続けている星のように。
彼はまだ闘っていて、けれどその姿はすでに、遠い未来に消えているかもしれません。
光を放ち続けるその姿は、過去の光を私たちが見ているだけかもしれない。
だから「まだ燃え尽きていないけれど、すでに命の終わりが近づいている星」。
英雄的で、孤独で、静かな終末に向かう存在――それが、私にとってのベテルギウスでした。
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ベテルギウスは、超新星爆発が間近に迫る赤色超巨星です。
直径は太陽の1000倍以上、質量は10~20倍にも及びます。
核融合の最終段階を迎え、内部では次々に重い元素が生まれ、
最終的に「鉄」ができた瞬間、星は崩壊し、超新星として爆発します。
けれど、私たちが夜空に見上げているのは「今の姿」ではありません。
地球から約650光年――
つまり私たちが見ているのは、650年前のベテルギウスの光。
もしかしたら、もう爆発しているのかもしれない。
けれど、その事実はまだ私たちには届いていない。
もう燃え尽きているのかもしれないし、まだ燃え尽きていないのかもしれない。
そんな時空の神秘の中で、彼は今も静かに、私たちの夜空に輝いています。
燃え尽きたかもしれない魂が、今もそこに在るように見える。
それは、切なくもあたたかな、静かな奇跡です。
私はこの「燃え尽きているかもしれないのに、まだ輝いている姿」に、
人間の姿を重ねずにはいられませんでした。
- 崩れかけていても、まだ立っている人
- 壊れそうなのに、誰にも見せない人
- 「強く在らなければ」と、笑い続けている人
彼らは、自分の終わりに気づいていても、それを誰にも伝えない。
だからこそ、最後まで美しく在ろうとする。
それが“自分の責任”だと、静かに、強く思っている。
その姿は、騎士のようであり、王のようでもあり、
誰の助けも求めずに散っていく者の、静かな覚悟に見えました。
「壊れゆくことに自分だけが気づいている」
それなのに、誰にも弱音を吐けず、「輝いていなければならない」と思ってしまう。
他者の目には、「英雄」や「希望」や「完璧な星」として映っている。
けれど実際は、「もう自分が終わることを、ずっと前から知っている」。
- 誰かを守るために壊れてしまいそうな人
- 本当は助けを求めたかったけど、それができなかった人
- 泣きたいのに、笑顔を選んでしまった人
そんな人たちは、きっと声を上げないだけで、たくさんいると思うのです。

私はこの作品にこの詩をつけました。
Maho
ベテルギウスの姿を、私は数式でこう表しました:

この式には、彼の“光の構造”が込められています。
すでに崩れ始めているのに、まばゆい光として届き続けている。
それは残光であり、祈りであり、存在の痕跡なのです。
でも、その光が嘘だとは思いません。
たとえそれが“過去の光”だったとしても、
それは彼が確かに生き、燃え尽きようとした時間の証であり。
その時間は本物だった証です。
そしてその証は、今もこの空に届いている。
「ここにいた」
「ここで燃えた」
「ここに生きた」
彼の光は、そう叫んでいるように思えるのです。
冬の夜空には、静かで尊い光が在ります。
ベテルギウスは、「もうすぐ壊れる星」ではなく、
すでに終わりが近いことを知りながら、
それでも燃え尽きるまで光を放ち続けようとする存在。
沈黙の尊厳をもって、燃え続ける星として。
この静かな魂の肖像が、
同じように「誰にも見せずに燃え尽きそうな人たち」への
ささやかな光となりますように。
Maho












【ベテルギウス】
もう崩れているのか
まだ輝いているのか
それは今も、確かに輝いてみえる
自分の終わりを知っている
滅びゆく光
過去の輝きで立つ
沈黙の誇り
もうすぐ壊れる光ではなく
誰かの心に残る光でありたい
いずれ崩壊の時を迎えても
ただあなたの光で
在り続けたい。