鱗花

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    【⠀鱗花 】

    時が来て
    衣は我が身を離れゆく


    目は濁り
    体は止まり
    停滞の中に息を潜め
    静寂に身を委ねる

    全ては新たな衣を纏うため

    衣を脱ぐ度
    傷は癒え
    再生を繰り返し

    剥がれた古い衣の欠片は
    新たな未来を彩る花となる

    Maho

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    今年は巳年ですね。

    私は蛇は嫌いじゃないです。
    けど触れたことがないです。
    触ってみたい。

    追いかけられたことがあるので多分道で出くわしたら怖くて逃げます。笑


    覚えてるのはなぜか小学校の時にジャングルジムに蛇の抜け殻がぶら下がっていたことでした。

    その時なんでこんな風に皮を脱ぐのかなと不思議でしたね。


    当時、私は犬と鳥と生活していました。

    脱皮のような現象が起こる生き物とは暮らしていなかったのでとってもその現象が不思議だったんです。
    家に帰って母から脱皮について聞いていた覚えがあります。

    脱皮している間もどんな動物に危険にさらされるかわからないし、ものすごく体力を使うから蛇脱皮する時は大変。
    脱皮がうまくできないと死んでしまうことがあるんだよ

    と聞いた時

    「ああ、じゃあ、あのジャングルジムの皮の主は生きているんだ」
    とほっとしました。

    それでも初めてみた抜け殻の皮は私にとって、とても衝撃だったのか
    しばらく頭から離れませんでした。笑

    蛇だけに限らず脱皮する生き物たちにとって
    脱皮はかなり大変なのですね。

    脱皮の前には食欲はなくなり
    じっとして籠りがちになって
    目も白濁してくるとか

    人間はお風呂に入って垢を落とせますが、
    彼らはそういうわけにはいかないです。

    大きくなるにつれて、自分の今まで来ていた表皮を破壊し、新しい皮膚となって、また時期が来たら脱皮の準備で。忙しいですね。

    強く体をこすりつけたりして
    時間をかけて今まで自分を覆っていた皮を脱いでいく。脱ぐというより剝いでいくとか剥いていくという感覚なのでしょうか。そこらへんはちょっと蛇じゃないので分からない…

    と小学生の私の知識としてはそれまでだったのですが、

    昨年、
    次の年が巳年ということが偶然なタイミングで、あることを知りました。

    何度も脱皮を繰り返すうちに、どこに傷があったかがわからなくなるほど綺麗に
    表面の傷は癒えていく、ということです。

    自分の殻を破って破って大きくなって、時間をかけてゆっくりゆっくり傷を癒やしていく過程に

    私は人の生き方に当てはまるようでとても感動しました。

    時が来て 衣は我が身を離れゆく
    目は濁り 体は止まり 停滞の中に息を潜め 静寂に身を委ねる
    全ては新たな衣を纏うため
    衣を脱ぐ度 傷は癒え 再生を繰り返し
    剥がれた古い衣の欠片は 新たな未来を彩る花となる

    一皮むけるという表現があるように
    人が成長していくときには、その前段階には停滞と痛みと苦しみがある場合が多いと思います。

    それこそ食欲がなくなったり、無気力になって落ち込んだり、目が濁ったように全部マイナスにしか見れなかったり、引きこもりがちになったりすることもあるでしょう。


    そのままそこにとどまっているのも個人の選択です。

    そこから苦しみもがいて皮を脱ぎ捨てて進んで、

    また痛みにぶつかってもまた新たな自分に出会うためにその皮を脱ぎ捨てて、そうして成長して傷を癒していくことも

    それもまた個人の選択です。

    私は脱皮に未来を感じました。
    未来は痛みと苦悩と停滞の連続の上に成り立つものなのだと。

    そうして脱いでいった衣の数だけ、未来に花を咲かせていくことができるのだと願います。


    自分自身と戦って脱いだ過去という衣で
    私はこれから生まれ来る未来の作品達を彩りたいです。


    Maho

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